マスタードとマッシュアップ

普段何気なく生活している中にも膨大な祖先の積み重ねの上に成り立っているものがたくさんある。

マスタードは植物の種をつぶして練ったものらしいけれど、はじめからこの植物の種をつぶしてたべるとぴりっときていいかんじ、なんて分からないので、きっといつの時代かに、とにかく植物の種を集めてきて食べてみる、みたいなのがはやった時代があって(ちょうどマッシュアップとかいっていろんなものをくみあわせてみてしょうもないものをたくさん作ってみる時代があったように)、そのときの膨大な失敗の中にほんのすこしだけやべーこれうまいよ、みたいな種があってそのときの成果が今でも受け継がれていて我々はその恩恵を受けて生活している。我々は自分で様々な種を探してきたり、大量のまずい種を食べて試してみることなくぴりりと辛いマスタードをわずかなおかねで楽しむことができる。

っていうのが、マスタードだけでなく、きっと身の回りにあるものすべてに同じような経緯があって今の生活があるのだということを考えると、もう経済成長しなくていいや、と思ったりするのは明らかに間違っている。まだ食べたことのない素晴らしい種があるはずだ、とすべての種を試してみたアホな人間とそれを許したアホな時代があったからこそ、もう成長しなくても十分満足だよ、といえる今の時代がある。