どうでもいいtumblrとquoteのはなし

quoteはその文章の中身に共感した、自分もそう思うからquoteしているとは限らない。

そのいいまわし、書いた人がその言葉を書くに至ったであろう道筋、自分の前後のpostとの関係、その上にquoteは成り立っている。


ここ2ヶ月くらい『徒然草』 もの狂おしくない新訳を朝と夜にひとつずつ読んでいる。徒然草は本当にくだらないことが書かれている。どれくらいくだらないかというと、

 これは、暇にまかせて一日中机の前にいるときに心に浮かんだことを適当に書きとめておいたものである。したがって、実にくだらない馬鹿馬鹿しいものである。(序段)
などとはじめに防衛線が張られているくらいくだらない。

この700年前に書かれた徒然草は、仏教的厭世観をのぞいて、大半の部分で現代でもほんとにくだらない。第150段 能をつかんとする人なんて未だにビジネス書からamachangのブログ*1まで、いたるところで見られる。700年前から我々自身が全く進歩していなくて、相変わらずうまくなってからとおもいつつ死を迎えているからこんなくだらないことが700年経っても相変わらず書かれている。そしてたいていの文章は過去に書かれたものと意味の上では同じだ。


そのいいまわし、書いた人がその言葉を書くに至ったであろう道筋、その時代の前後の出来事との関係性だけで文章は成り立っている。

*1:amachangじゃなかった気もするけど誰かが1000speakersかなにかの文脈で、とにかく発表するから何か作るしなんとかかんとかというのを書いてて感動的だったんだけど、うろ覚えすぎて探しても見つけられず